じいちゃんとワンコと…日々の生活

子供達が独立して、ワンコとの気楽な生活になるはずだった。母が亡くなって、末っ子なのにじいちゃんをひきとることになり、まだまだ忙しい日々が続きます。

施設探し3⃣

2⃣で書いた「設備は超一流でも信頼度ゼロの施設」とは正反対の施設。


ここは自転車で行こうと思えば行けないこともないけど、ちょっと遠め。

同じ敷地内に病院があるというので、安心かなぁと思った。

病院の分もあるから駐車スペースも多い。

姉家族が来るときはクルマだから、駐車場が広いのはいいね。

日光街道から入ってすぐなので、ファミレスなんかも近くにあるし、お見舞いの帰りに食事に行くにも便利。

立地はいいね、なんて姉とウキウキ。


一歩入って、びっくり。。。


「あ、マスク忘れちゃった。すみません、マスクありますか?」

「ここにありますよ、どうぞ。」

施設側でマスクを置いてるのはいいんだけど、あんなマスク見たの初めてですゎ。

なんと紙製、しかも昔のチリ紙みたいな紙。

「ねぇ、お姉ちゃん、これ見て。」

姉もびっくりしていた。

「けっこうケチってるね。」


建物が古いだけならまだいいが、雑然としすぎ。

ホールの傍に洗い場があるのだが、横っちょの水切りカゴにプラスチックのコップが山盛りに積み重ねられてる。

ちゃんと洗ってるのかなぁ…


「今入浴中なので中はお見せできませんが、ここがお風呂です。」

まだ2月だというのに、脱衣場のドアは開けられたまんま。

のれんの陰におじいさんのむき出しのお尻が見えた。

中は暖かいのかもしれないけど、寒々しい。

お風呂こそ倒れる人が多いというのに、開けたまんま…いいの?


廊下は薄暗く、そこここにおいてあるソファやらイスはぜーんぶ型も色も違う。

揃えたのではなく、どこかから拾ってきたんじゃないかと思うほどのチグハグ感。


さて、面談。

担当者の話によると、ここは6階建ての建物だが、1階はデイサービスとリハビリの施設。

2階はリハビリのみの入居者、3階は認知。

じいちゃんはまだ軽度なので、2階になるそうだ。

「上の階は?」

「上はアルコールです。」

……

「常駐医師は隣りの院長先生になります。健康診断ですとか、風邪などの軽い症状の時はお薬くらいは出せますが、院長の判断でよその病院にお願いすることもあります。」

「どういうことですか?お隣りでは診てもらえないんですか?」

「精神科なんです。」

だからアルコール病棟か、納得。


帰りの車中では意気消沈。


「ダメだね、あそこは。」

姉がそう言ってくれてホッとした。

だって、姉夫婦との約束で、動くのは私でお金を出すのは姉夫婦と決めてあったので、姉がここでいいなんて言ったらここにしなけりゃならなくなる。

私だってここじゃ嫌だ。


いくら暗証番号を打ち込まなければエレベーターに乗れないと言っても、何かあったらコワイ。


それに、「医師常駐」って書いてあったら、大抵の人は内科医がいるんだと思うでしょ?

風邪くらいならなんとかなりますが…ってさぁ。。。


年寄りはちょっとの事で体調を崩すのに、うがいするコップを水切りカゴに山盛りにしてほっぽっておくなんて、衛生的にどうなの?


この施設からは翌週すぐにOKの返事が来た。

「すぐにでも入居できますので、今週中にお返事をください。」

逆に困った😞

週末また電話が来た。

「もう1人入居希望の方がいらっしゃいますので、早急にお返事を…」

姉と相談…他の施設全滅したら困るし、断るにしてもどう言ったものかと。

「すみません、返事待ちのところがあるので、今回はもう1人の方を優先してください。またおたくにお願いすることになるかもしれませんが、今回は見送ります。」

ふーっ。


多分、もう1人の方なんて人はいなかったんじゃないかと思う。

施設探し2⃣

1月下旬から3月いっぱい、ほとんど毎週のように施設巡り。


私の自宅は東京の足立区ギリギリの埼玉県。

家から出て次の信号がもう東京都だ。

だから、じいちゃんが来たばかりの頃は埼玉県のデイサービスに行っていたけど、去年からは「遠い」という理由で足立区のデイサービスに行くようになった。

足立区の某デイサービスの方が埼玉県所属のデイサービスより近いのだ。


その教訓から、施設探しも埼玉県に限定せず、距離的に近いところから攻めた。

病院常駐の相談員さんに施設のパンフ的な資料を揃えてもらった。

それまでお世話になっていた埼玉県のケアマネージャーさんにも協力してもらった。

一体何軒、姉と見て回ったことだろう。

行く時はどんなところかと期待してワクワクすることもあった。

帰りは「ここならじいちゃん喜ぶね」とお金の問題を話し合いながらの時もあれば、「なに⁈あそこ!」と憤慨しながらの時もあれば、「いくらなんでもあればちょっと…」と苦笑いしながらなんて時もあった。


自宅から1番近い施設は自転車で10分足らずのところだった。

雨さえ降らなければ毎日でも行ってあげられる。

建ってまだ1年くらいでとても綺麗。

医師の常駐もある。

緊急時の搬送先は私も行ったことのある病院。

入居期間は3カ月。

結局、ここは入居待ちが多くて順番を待っている間に今の施設が決まった。


ここが順番待ちだというので、同時進行で他の話しも進めることにし、施設巡り続行。


ある施設では、いまだに納得がいかないことがあった。

そこもわりと綺麗なところで、設備もすごかった。

空き部屋もあるので、本人との面談後、早ければ翌週からでもOKと言われた。

ところが面談の結果、施設からお断りの連絡がきた。

お宅に断られても自宅で介護を続けるのは無理なので、良ければ理由を聞かせて欲しいと尋ねてみた。


オドロキ😨


立ち上がるからダメ。


まず最初に、今回断られても次のチャンスがあるかどうか聞いてみた。

「今回は立ち上がった時にふらついてケガをされたら困るのでお断りすることになりましたが、将来的にずっとダメというわけではありません。」

…ふーん、そうかぃ、おたくの考えてること、わかったぞ。

ではここからジリジリといきますか。


「あのぉ、本来、お宅はリハビリを目的とした施設ですよね?」

…ずっといていい老人ホーム的な施設ではなく、リハビリして自宅に戻ることを目的とした所なんです。

実際は、ほとんどの入居者が延長手続きをするんですけどね。

ウチも。

「はい、そうです。」

「じゃ、立ち上がるからダメってどういうことですか?」

「立ち上がった時にふらついてケガをされたら…」

…引っかかったぞ、引っかかったぞ。

「父は80超えてます。もうすぐ90です。他の入居者さんもお年寄りですよね。」

「みなさんそうです。」

…相手は私の誘導に引っかかった。

「そんな年寄り、できなくなったことがふらつきもなしにホイホイできるようになりますか?」

「いや、ムリですね。ケガをして歩けなくなったというのとは違いますから。」

「ということは、父の場合はもっと進行して寝たきりになったらOKということですか?」

「まぁ、はっきり言ってそういうことです。」

「自宅に戻れるようにリハビリする施設よねぇ?」

「あっ…。。。。」


とんだ施設があったものだ。

今はふらつくけどふらつかなくなるように(まぁムリだろうけど)頑張りましょうね、なんて気持ちはないらしい。

もっと進行したら預かりますよって、なんなのよ‼️


1番手のかかる「1人では動けないはずなのに時として動いてしまう人」は拒否だなんて。

認知の老人が迷子になったり線路に立ち入ってしまったり…

介護している家族だってお風呂にも入るしトイレにも行く。

そういう時にスイッチが入って外に出てしまうこともある。

仏壇に御線香を上げようとして火事を起こしてしまうこともある。

動ける人の方が大変なのに。

パンフには、家族だって生活がある、そのために私達がサポートをなんてしらじらしいうたい文句を掲げているのに。


ちなみに、入院中じいちゃんが立ち上がったのは1回だけ。

その時すぐに病院から電話で報告があった。

翌日、婦長さんに詳しい話を聞いた。


じいちゃんより重症の認知のおばあさんがいて、その人はじいちゃんを亡くなったダンナさんだと思っている。

そのおばあさんが何かとじいちゃんの世話を焼こうとするらしい。

その日も車椅子でじいちゃんにすり寄って来た。

じいちゃんは認知がはいったとはいえ、まだ家族とその他の人との区別はつく。

じいちゃんはそのおばあさんがウザくて仕方なかったようだ。

逃げようとして立ち上がり、そのままズデンと尻もちをついた。


これが事の真相。

だから、立ち上がったとは言ってもどこかへ行きたいという衝動があって立ち上がったのでも、むやみやたらと立とうとするわけでもない。


もちろん、断られた施設の人とのやりとりの時もそのことを話した。

「立ち上がるとおっしゃいましたが、父が立ち上がった時のこと、事情を聞きましたか?」

「あ、いえ、そこまでは…。」

立ち上がった理由も調べずに「立ち上がった」という事実だけで拒否したのだ。


こんなところに親を預けなくてよかった。

もしここの施設でなんらかの事故があっても、いい加減な調査しかしないんでしょうね。


後になって、介護系の仕事をしている息子にこの話をした。

「なんていう施設?」

「◯◯◯」

「ああ、あそこか。設備は良かったでしょ?」

「知ってるの?」

「大手だよ。お金あるから設備は超一流のはず。」

「たしかに超一流だったけど、大手だって言ったって、自力でなんでもできる人か寝たきりの人だけなんだよ?」

「大手が故に事故があると困るんだよ。だから手のかかる人は断るんだよ。行かなくて良かったね。」


そういうところもあるんですよ。

みなさん、親御さんを施設にお願いするときは知名度とか設備で決めるのは危ないですよ。

施設探し1⃣

新年明けてすぐに入院したじいちゃん。

仕事以外はほとんどすべて母任せだったので、若い頃から時々ボケたことをやらかしてくれた。

だから全く気づかなかった。

お正月に我が家に泊めた時、やっぱりオカシイ!と気づいた。


多発性脳梗塞。


以前、家族は福島県に住んでいたのだが、父のかかりつけの病院が東京の病院で、当時大学生で東京に住んでいた私が薬をもらいに行く役目だった。

私は興味津々でカルテを覗いた。

その時見た「一過性脳虚血発作」という病名を覚えていた。

そのことを今の主治医に伝えたら、「多発性脳梗塞」という病名がついた。

即入院と言われたが、すでに夕方でその日中の入院はムリとのことで、翌日出直すことになった。


一旦帰宅し、ネットで「多発性脳梗塞」を調べた。

「一過性脳虚血発作」の既往症がある人は「多発性脳梗塞」になることが多く、その場合「認知」を伴う。


きっちりはまってる‼️


そういうことか……。

50代60代で何度か倒れたことのあるじいちゃん。

親戚に何人か医者がいて主治医にもなってもらっていたので、普通なら入院してるところを、じいちゃんの場合は自宅で病院と同じ環境を作り安静にしながら、家業を監督し続けていた。

短気なワンマン親父だったから、現場を離れることができなかったのだ。


その頃から徐々に進行していたのかもしれない。

当時は「一過性脳虚血発作」がいずれは「認知」につながるなんてこと、医者すらわからなかったのだろう。

だって、30〜40年前に「認知」なんて言葉自体、あったかねぇ?


診察に同席するためわざわざ世田谷から来てくれた姉と、今後のことを相談。


「地震からこっち、お姉ちゃんがばばちゃんとじいちゃんをみてくれてたんだから、今度は私がみるよ。」

「みるったって、あんた、一人じゃムリだよ。Nさんにも迷惑かけることになるし。仕事だってできなくなるよ。」

「じいちゃんが来てから、できない時は仕事しないで通してきたから、なんとかなるよ。お客さん達もわかってくれてるから。。。」


私はお店を辞めてでも、親の面倒はきっちりみるつもりだった。

もう歳も歳、疲れちゃったしね。

オープン当初は「キモノのママさんがやってるショットバー」なんてもてはやされたけど、今じゃガールズバーがそこら中にあるし、こっちはガールズバーどころかおばばバー。


姉をはじめ義兄の意見は違った。

「仕事を持たない人でさえも介護は、肉体的にも精神的にもキツい。プロに任せたほうがいい。」

押し切られた。


じいちゃんが「治療」の段階にある2週間の間に何度も話し合いを重ね、結局、退院後は施設にお願いすることになった。

私からの条件は、私の行動範囲にある施設である事と施設の質…設備はもちろんのこと、職員さん達が親身であること。

だって、自分の親を預けるんだもの、どこでもいいなんてことないでしょ。


じいちゃんは病棟で2週間治療を受け、ある程度は回復した。

朝と昼の区別がつくようになった。

入院時の脳の状態は眠くて眠くてしょうがない状態だったが、昼間はずっと起きていられるようになった。

でも萎縮してしまった脳は戻らない。

時々おかしなことを言い出す。

過去の時限に戻ってしまうこともあった。


2週間して、療養病棟に移った。

療養病棟にはいろんな人がいた。

認知が進んで家族が面倒をみきれない人もいれば、アタマはしっかりしているが身体の機能だけが戻っていない人もいる。

要は治療は済んだけどまだ退院できない人達。

ほとんどがお年寄りだけど、若い人もいた。


その病院のナースも介護士の方々もとてもいい人達だったので、ずっとここでもいいかななんて思ったりした。

でも、病院だとリクリエーションとか、ないでしょ?

朝ナースが体温とか測りに来て、朝食食べて、リハビリやって、昼食食べて、午後は夕飯まで何にもない。

認知が入ってなくても、こんな毎日じゃボケちゃうよ。

だんだん表情も無くなっちゃう。


病院常駐の相談員と何度も打ち合わせて、毎週毎週姉と2人で施設の見学をした。

療養病棟に移って3カ月近くして、ようやく施設が決まった。

4月初め、桜満開の頃に施設に入居し、2ヶ月が過ぎようとしている。

やっと新しい環境に慣れ、笑顔も見られるようになった。

最初の1カ月は、しんどかったけど頑張って毎日顔を見に行った。

それからは2日に1回、今は週に2回行くようにしている。